初回 「知的」な美目元のネルさん(41) #1 長文だとか超スピードだとか
前回 「知的」な美目元のネルさん(41) #8 「口、走る」


「知的」な美目元のネルさん(41)

  • 7/12(水)マッチング(いいねはネルさんから)。
  • 顔写真:スタンプで下半分を隠したものが一枚。
  • 自己紹介:テンプレを下敷きにしつつも、自分の言葉を散りばめて、ほぼオリジナルな仕上がり。
  • 男性のタイプ:特に記載なし。
  • 休日の過ごし方:カフェでランチやお茶。
  • その他:バツイチ。大学院卒。少食だがラーメンに目がない。
  • 7/14(金)お茶デートに誘うとあっさりOK。
  • 7/16(日)はじめてのデート。大学の研究員と判明。別れ際にLINE接続。
  • デート以降、ペアーズはオフライン状態。



「もっといえば、僕はネルさんとお付き合いがしたいなと思っています」とおいらは言った。「ネルさんはどう思ってますか、僕のこと?」

不意をつかれてたじろぐネルさん。

言葉が出てこない。

間。

「そ、そうですね」、やっと声を絞り出した。「わたしも……つきあってもいいかなって思ってます。いい人だと思ったので」

「じゃあ交際決定で?」

「そうですね……はい」

おいらは手を差し出す。

「では、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

ネルさんは箸をおいて、苦笑しながら手を握った。


細くて白い手だった。

「えーっと、このあと物陰からカメラマンとか、わーっと出てこないですよね?」

握手を終えて、ネルさんが言った。

「安心してください。ドッキリじゃありませんよ」

そう言って、おいらはわっはっはと笑う。

「あと気になってたんですが、まささんのそのしゃべり方、普段からそうなんですか?」

「このちょっと芝居がかったような、ハキハキしたしゃべり方ですか? まあ、普段もそんなには変わらないと思いますが」

「デートだから気を張ってるとかそんなんじゃなくって?」

「んーお付き合いが始まったら口数もへって自然になってくるんじゃないでしょうか。たぶん」、とりあえずそう答えておいたほうが良さそうだ。

「そんなもんですかね」

「そんなもんです。ところでお互いの呼び方どうします? ネルちゃんって呼んでもいいですか?」

「ええ、まあ。まささんは、なんて呼ばれることが多いですか? つまり親しい人から」

「まーちゃんとか、まーくんとかですね」

「まーくん。まーくんが呼びやすそうです」

「じゃあ、まーくんで」

「あとお互い名字知らないですよね。知らないまま、おつきあい始まっちゃいました」

「僕はさっき一緒に店入ったときに店員に伝えましたが、◯◯です」

「そうでしたね。でも忘れちゃいました。記憶力がないので。私は◯◯です」

「◯◯さん、どうぞよろしくお願いします」

「ふっ。よろしくお願いします」

「あとですね、我々、まだ敬語です」

「私もそれ思ってました」

「じゃあ敬語もなしでいきましょう!」

「そうしましょう」

「ネルちゃん、よろしくね!」

「まささ……まーくん、よろしくお願いしま、よろしくね」

自分の言葉にネルさんがぷっと吹き出す。

「まあまあ、おいおいね」

「ゆっくりいきましょうね。あ、いこうね」

     *

レジの対応をしたのは、背の高いショートカットの女性だった。

店の階段をのぼるとき見かけた女性だ。後ろ姿から美人そうだと思っていたが、ほんとうに美人だった。キリッとした顔立ちの美人。

クレジットカードを渡したが、なかなか決済が終わらない。

ショートカットはしらばくレジのボタンと格闘していたが、やがてあきらめて男性店長に助けを求めに行った。

ほどなく、背後で笑い声がした。

振り返ってみると、さっき窓越しに見た、おいらと同年輩のサラリーマンたちだった。

彼らはあいかわらず楽しそうに酒を飲んでいた。底抜けにノーテンキに。

いかにも悩みなんてなさそうだった。

彼女をどうやって作ろうかとか、この女性とつきあっていいのだろうかとか、もっといい女性が現れるのではないかとか悩んだりはしてなさそうだった。

彼らにとって、そんなのは、20年前に通り過ぎた問題なのかもしれない。

あるいは、彼らにしてみれば、悩むに足る問題ですらないのかもしれない。

彼女なんてその気になればすぐにできるし、その女性とつきあいたければつきあうし、もっといい女性が現れれば、ひょいとそちらに乗り換えるのかもしれない。

あるいは、もう最高の妻を見つけてしまっているのかもしれない。

ショートカットが店長と戻ってきた。

横から店長が指示を出し、そのとおりにショートカットがレジのボタンを押していく。

「お待たせしました! 暗証番号を押してください!」

ショートカットの合図においらがボタンを押そうとすると、ネルさんはすっと横から離れる。番号を見ないように。

精算を終えると、ネルさんは5千円札をおいらに握らせた。

今度でいいって言っても聞こうとしなかった。

     *

ムッっとする空気の中、ショートカットが、下まで見送りしてくれた。

「すみません。見送ってもらってほんとにいいんですか?」

「いいんですいいんです! 私がそうしたいんです。ぜひお供させてください!」

女子トークを背後から浴びながら、おいらは階段を降りる。

おいらはネルさんと付き合うことになった。でもほんとにそれでよかったのだろうか?

「交際したら半年以内に結婚する/しないを決めたい」とネルさんは考えていた。

ネルさんと付き合うことで、おいらの未来はひどく限定されてしまわないだろうか?

身動きとれなくなってしまわないだろうか?

ちょうどこの狭い階段みたいに。

そして半年後、のぼった先が行き止まりだったらどうしよう。

壁に立ち塞がれ、先に進めなかったらどうしよう。

そうしたら今度は右のドアを開ければいいのだろうか。そこにショートカットみたいな美人がいることを期待して。

あるいは、左右のドアも消え失せてしまっているかもしれない。

そうなったとき、おいらはどこへ向かえばいいのだろう?

     *

世紀末通りは、混雑を極めていた。

人数だけでなく、ヤカラの割合もぐっと増えている。

笑顔で手を振るショートカットに礼を言って、我々は通りを歩き出した。

路上で立ち話している、浴衣を着崩した露出狂の女二人組の横を通り過ぎて、おいらはふと振り返った。

5メートルほど後方から、ネルさんがとぼとぼついてきている。

不安そうな表情を浮かべながら。

その表情で、待ち合わせのときネルさんに呼びかけなかったことを、おいらは思い出した。

そのとき今と同じような表情を浮かべてたことも。

ズキン、と胸に痛みが走った。

おいらはつかつかとネルさんのところまで引き返して言った。

「手、つないでもいいですか?」

ネルさんの顔がぱっと明るくなる。

が、すぐに恥ずかしそうな表情に変わる。

「は、はい」

そう言って差し出された手を、おいらはとる。

細くて、やわらかくて、ちょっと汗ばんだ手。

おずおずと握り返してくる手。

おいらはそれをぎゅっと握り直す。

そして前を向いて歩きはじめる。

一歩一歩、夜の先へ。

それがどこにつながっているにせよ。


つづき ボディタッチ魔の彼女