よく国や地方自治体が、予算を余らせると次年度で削られるからという理由で使い切ってるのが無駄の象徴みたいに槍玉に挙げられたりしているが、企業にもそういう悪しき慣習がなきにしもあらずらしい。


おいらの部署でも、とある予算がほとんど手つかずで残っていて、さてどうするかとなった。ちょうどアイリスオーヤマの安物加湿器たちがご臨終になったばかりだったので、パナソニックのナノイーがついた上位モデルの空気清浄機2台、加湿器3台を購入した。


あとさきあまり考えずに買ったので、置き場所に苦慮した。試行錯誤のすえ、なんとか置き場所は決まったが、コードが動線上にあるよね、足引っ掛けるよね、メーカーで労災はまずいよねということになり、建築関係の部署の男子・Kさん(31)の提案で、「モール」と呼ばれる配線カバーを買うことになった。

ホームセンターで異世界に迷い込む41歳の男
▲モール

事務先輩の命令でおいらがホームセンターに買いに行くことになった。Kさんという参謀を伴って。


事務先輩の悪い癖のひとつに、ひとつ頼むとついでにあれもこれも頼むということがあるが、今回もそれが発動。


「まっさ、ついでに飛沫防止のアクリル板も買ってきて。これも会社のツケでね。ツケで買う方法覚えとる? 社員証がいるからぜったい忘れないこと! あ、それと、わたしの貼るカイロと靴下カイロも買ってきて。はい、5,000円。これがわたしの全財産だから、足りなかったらまっさが立て替えとって。あとそれから、帰ってきたら土嚢も取ってきて。車汚したら駄目よ。新聞紙を敷いてからのせること。いい? わかった?」


社有車のハンドルはおいらが握り、助手席にKさんが座った。


「さて」とおいらは言う。「無事に到着できるでしょうかね。なにしろ腕に覚えあり、後部座席のドアを開けたままの発進経験あり、の僕ですからね。では、めくるめくアドベンチャー・ワールドへ、いざ参らん!」


工場内をとくになにごともなく縦断し、門でカードリーダーに社員証をタッチして場外に出る。


道中、Kさんにマッチングアプリの首尾を訊かれ、いやあぜんぜん駄目です、たまにマッチングしても返事が返ってこなくって、だから課金すらしてなくって……なんて話してたらホームセンターに到着。


駐車場に車をとめようとしたとき、Kさんが言う。「ここ狭いんでドアが開けにくいです。隣の車にぶつけたらオオゴトでしょう? だから二階にしません? たぶんすいてるはずです」


そのとおりにした。このホームセンターは何度か来たことがあるが、二階の駐車場にとめるのはこれが初めてだった。おいらは冒険しないタチなのだ。ちょっと嫌な予感がした。


二階もけっこう混み合っていたが、両隣のあいているスペースが運良く見つかる。


階段を降りて売り場へ。


まず、モールとアクリル板を見つけた。アクリル板のサイズはどうしよう?ということになり、会社支給の携帯を持っているKさんが事務先輩に電話で確認。


さいごに、貼るカイロと靴下カイロ。それぞれ何枚買えばいいんだろう?どのメーカーがいいんだろう?ということになり、またまたKさんが事務先輩に電話で確認。


ここまでおいらの出番なし。Kさんがテキパキ動いてくれる。


商品をもってサービスカウンターへ。カウンターでもたついているおいらを見て、Kさんがその間にカイロの会計を一般レジですませときましょうかと提案してくれる。頼もしい。事務先輩から預かった5,000円札を渡す。


で、請求書支払いの手続きの段になって、おいら、気づく。


「あ、やべ。車に社員証置いてきた」。たぶん、飲み物ホルダーの中である。門でカードリーダーにタッチしたあと、無意識に放り込んだのだ。


Kさんとカウンターのおばさんにそのことを告げて、店の奥へと引き返す。背後でおばさんが何か言ったような気もしたが、構わず突き進む。


長い売り場を抜けるとそこは異世界だった。


目の前には、よくスーパーにあるような両開きの重そうな扉が立ちはだかっていて、そこから陰鬱な邪気がどよーんと、とぐろを巻いている。小窓とかがついていないので中の様子はうかがい知れない。


なんだか急に喧騒が遠のいて、回りが静かになったような気がした。ひとり取り残されたような孤独と心細さを身内に感じた。思えば遠くに来たような気がした。今なら「千と千尋の神隠し」のヒロインの気持ちがよく分かるような気がした。


あれ? おいらこんな扉を通ってきたっけ?


よく見ると「関係者以外立ち入り禁止」の表示が。


おいら、左向け左をして端まで歩いてみる。そこには同じような第二の扉が。陰鬱な邪気のとぐろ。


おいら、回れ右をして端まで歩いてみる。そこには同じような第三の扉が。陰鬱な邪気のとぐろ。


おいら、悩む。


まったく見覚えのないこれら三つの扉のうち、どれかが「アタリ」のはずだ。


いや、ほんとにそうか? 扉の向こうはそれこそほんまもんの異界が広がっていて、入ったら最後、スライムか何かに転生したあげく、にどと戻ってこられないなんてことになりはしまいか。あるいは、店員が普通に棚卸しとかしていて、部外者の不用意な闖入に烈火のごとく怒るのではあるまいか。


悩みに悩み抜いたあげく、異界を離れてサービスカウンターに戻ることにする。


売り場を半分まで来たところで、Kさんとおばさんがカウンターから手招きしているのに気づく。


駆け寄ってみると、おばさんは「すみません。呼び止めようとしたんですが」といかにも申し訳なさそうに言い、Kさんは笑いながら「ほら、階段はすぐ横ですよ。店の奥にどんどん行くもんだからビックリしましたよ。そんで迷子みたいに不安そうにうろうろしてるし。おもろいのでちょっと泳がせてました。ははは」


Kさんが指し示すほうを見やると、たしかにサービスカウンターのすぐ横に階段があった。これを見逃すとは!!


職場に戻ると、「ホームセンターで迷子になった41歳の男」の話で女性陣が大盛りあがり。


事務先輩「もう、行く前に社員証持ってけって言うたがあ。Kちゃんがおらんかったら買い物ひとつまともにできんかったじゃろ。アクリル板とかカイロとか、どんなんがええか全部Kちゃんが確認しとったし。あんたなにしに行ったん?」


おいら「いやあ、Kさんにリードしていただけて大変助かりました。テキパキ動いているKさんを、デートしている女子目線で観察していました。女子はこういうふうに男子にリードしてもらえると頼もしくカッコよく感じるんだなあって勉強になりましたね。マッチングアプリでこの経験を活かしたいと思います」


その発言に、職場、爆笑の渦。


保健師二人は腹を抱えながら「この話、旦那に話してもいいですか?」とおいらに許可をとってくる。


ちなみにKさんは既婚者である。うむ。


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