前回の記事:「読者「ブロック押すなよ?絶対に押すなよ?」【Omiai】」で読者のほがらか氏からこんなコメントをいただいた。

マッチしても全然ラリー続かないなんて、男女ともにかなり経験してるだろうし、私は好みの乙女じゃなければ気にしないです。
こっちからブロックしてもいいと思える相手なんて、それこそどうでもいい相手です。
勿論、相手が好みの乙女なら心の余裕はなくなっちゃいますけどね。

それにしても、せっかちなまっささんが、よくここまでブログ訪問客増やせるほどコツコツ続けられましたね〜。
ブログ運営初期の頃とか、「訪問者少ないし、みんなほとんどみてないのに更新すんのめんどくさいな〜、ネタもあまりないし。。」とかならなかったんですか??
それとも最初から好スタートだったとか?

コメント欄で返事を作成してたらば、「これ、むっちゃ長くなる気配だぜ!」と気づいたので、こっちで返事することにします。



そもそも、おいらがいいね!を送るのは「好みの乙女」じゃなくて、「おいらでもマッチングできそうで、且つ、容姿が個性的すぎない乙女(かなりマイルドな表現使いました笑)」なのだ。


ゆえに、マッチングした乙女に「ときめく」なんてことはめったになく、極端な話、付き合ってくれなくても構わない。


ただ、マッチングしたのだったら、返事くらいせえよ、と。返事しないんだったら、マッチングするなよ、と。たったそれだけなのだ。


「いやいや! 返事かえすつもりはあるけれど超忙しくてできないのよ!」って唾飛ばしてがなるくらいなら(そんな人はそもそもマッチングアプリ自体やる暇なんてないはずだが、それはともかくとして)、やはり、マッチングするべきではないと思うのだ。


マッチングして、メッセージを書かせている以上、すでにお相手のリソースをいくらか奪っているのだ。そのことに無自覚のまま平気な顔して「だって忙しいしぃ~」とか「赤の他人なんだからどうでもいいしぃ~」なんてのたまう神経に、イラッとくるのである。


「返事がめんどうなら、マッチングくらい吟味しろ! S-h-i-t!」、言いたいのはそれだけ。



ブログ継続については、おっしゃるとおり、奇跡かもわからんね笑


運営初期なんて、それこそ訪問者ゼロ行進でなかなか結果が出なかったから、焦燥感と徒労感で気が狂いそうになったわ。


初期の記事をいくつか読んでもらえればわかると思うが、とにかく迷走していた。毎日試行錯誤だからテーマもスタイルもてんでばらばらで、なおかつSEO対策(検索エンジン最適化)にも手を出してたもんだから、とにかく苦行だった。書くというよりは、もはや「作業」でしたな。


そんな辞めるか辞めないかの綱渡りを二ヶ月くらいした頃だったかしら、SEO対策の効果もあって、GoogleやYahoo!から、ぽろぽろと訪問者が集まりだした。


「少ないけれど誰かが読んでくれてるんだ!」と気を良くしたおいらは、「作業」の手を止めなかった。


ブログ開始から試行錯誤を続けること半年弱、最初のヒット記事が生まれる。




この記事のおかげで訪問者が数倍になった(といっても一日あたり数十人程度だが)。これをきっかけに、おいらは「体験談」というものにかなりの需要があることを身を持って知ったのだった。


出不精のおいらでも書ける「体験談」といったら、マッチングアプリくらいしか選択肢がない。


だが、おいらの不名誉な属性「彼女いない歴=年齢」ってのが最高に活かせるテーマではないか。それを同じような境遇の恋愛弱者「非モテ」に向けて書いたら、うまくいくのではないか。


その気付きがあって、ようやくブログの方向性が決まった。


それ以降、おいらはいわゆる「コタツ記事」の作成をやめ、ブログの模範的な作法も捨て、SEO対策も最小限にとどめるようになった。


とにかく好きなように書くことにした。好きなように書かなきゃ続けてらんないからである。


もともと書くこと自体は好きなので、好きなように書いてると楽しいのだ。思考が整理されるし、書き終わったあとに、自分が出した結論に自分で驚くこともある。


「ふだんぼけーっとしてなんにも考えていないようでいて実は無意識にこんなことを考えていたのか!」って思うこともあれば、「あ、これは文章のための文章っつーか、ある意味、創作だな。おいらふだんこんなこと考えてないや。でも思考実験としては面白いからこのまま出そうっと」ってなることもある。


そしてなにより、ブログ記事の執筆はひとりで完結できるプロジェクトなのが大きいですな。マッチングアプリや他の仕事みたいに、共同作業者の怠慢によってリソースを搾取されたり、プロジェクトが遅延することもない。ぜんぶ自分の責任で、自分のペースでできる。そういうソロプロジェクトって向いてるみたいなんですな、おいらには。


だから、続けられた。


そして現在に至るのだ。