僕が宮尾さんと知り合ったのは、マッチングアプリ「ペアーズ」だった。半年ばかり前のことだ。


彼女からいいねが送られてきたとき、僕が最初に思ったのは、「やれやれ、また業者か」ということだった。彼女が25歳の美しい女性だったからだ。こんなに若くてこんなに綺麗な女性が、こんなにぱっとしない四十の男を相手にするなんて道理は、この世界線には存在しないのだ。


それでもいいねを返したのは、ちょうどそのとき誰ともマッチングしていなかったからだった(マッチングしていないのはそのときに限らなかったが)。ちょっとした暇つぶしになると思ったのだ。業者にだまされたフリをしてメッセージをかわし、最後の最後に運営に通報するといういささか幼稚な暇つぶしである。


また、名前の付け方のユニークさに興味を惹かれたというのもある。苗字をニックネームにするユーザーはほとんどいない。おおかた下の名前かイニシャルである。彼女は(あるいは彼は)変わった感性をもった業者なのかもしれなかった。


僕はいいねを返すと、こちらからはあえてメッセージを送らず、相手の出方をうかがった。ペアーズに登録している女性は受け身な人が多く、自分から先にメッセージを送ったりはしない。男性からメッセージが来るの待つ。だから、もし宮尾さんが僕からのメッセージを待たずにメッセージを寄こしてきたとすれば、彼女が業者であるというかなり高い確信をもつことができるのだ。


宮尾さんは僕がいいねを返してから一分もしないうちにメッセージを送ってきた。


「まっささん、はじめてです。宮尾と申しあげます。マッチングありがとございます。私がいいねしたのは、あなたが猫が好きで私も猫が好きでそれと私があなたの写真が素敵に気に入ったからです。私は書くのが得意ありません、まずお会いしていろいろとお話すると嬉しいだろうです」


たどたどしい日本語はもとより、ファーストメッセージで会うことを要求していることから、宮尾さんが業者であることはほぼ確定した。それも外国人の業者である。


それでも会ってみることにした。暇でほかにやることもなかったし、猫好きに悪い人はいないという宗教の熱心な信奉者でもあったからである。


指定された待ち合わせ場所は、猫カフェだった。送られてきた住所は、僕の住んでいる町の外れに位置していた。そんなところに猫カフェがあったなんて初耳だったし、何度も通ったことのある場所だったので気づかないはずはなかった。しかしGoogle マップで調べてみると確かに存在していた。その名も「喫茶ペアーズ」。


写真を見ると、そのようなカフェには似つかわしくない古い建物だった。築三十年から四十年くらいだろうか。「喫茶ペアーズ」と書かれた看板も同じくらいの年代を経た代物だった。ということは、その猫カフェはずっと前からそこで営業していたということになる。


じっさいに、路地裏にあるその店の前に立ってもまだ半信半疑だったが、頭上に浮いた小さな雲をかき消すように首をふると、「営業中」の札のかかった黒く古びた木製のドアを押し開けて中に入った。


数歩入ったところではたと足が止まる。店内は真っ暗に近く、息を潜めるような気配が漂い、そこかしこでビー玉のようなものがきらりと光っている。ずいぶん多くの猫がいるようだった。


少し暗闇に目が慣れたところで、僕はふたたび歩きだした。木の床は歩を進めるたびに悲鳴のような音をたてる。


椅子かなにかに脛をしたたかぶつけて僕はその場に倒れ込んだ。


椅子は派手な音を立てたが、猫たちは沈黙を保っていた。光る目も微動だにしない。


もうたくさんだと思い、立ち上がって引き返そうとしたところで、店の奥から女性の声がした。


「お待ちください、まっささん。宮尾です」


声のしたほうに目をやると、僕の目よりやや低い位置で、一対のひときわ大きな目がきらりと光を放っていた。


僕は思わず悲鳴をあげそうになったが、声にならなかった。気道が何かでつまったような感覚があった。


「ごめんなさい。いま声を出されると困るのであなたの声をキャンセルさせていただいてます」と宮尾さんはたいしてすまなそうでもない声で言った。


「ご足労いただいたのは他でもありません。なぜ、あなたがこれまでモテない人生を歩んでいらしたのか、説明させていただくためです。


まず、まっささんがいま一番知りたがっていること、つまりわたくしが何者か、ということから説明いたしましょう。


わたくしは、25年前にまっささんに命を救われた猫です。まっささんが15歳のときに、迫りくるトラックから
身を挺して守ってくださった猫です」


そのとき、僕の気道が少し楽になった。試しに声を出してみた。


「あ、あのときの・・・」


「そうです。その節はお世話になりました。そのご恩に報いるため、いえ、それは建前にすぎません。あなたに恋をしてしまったため、わたくしは人を喰らうのをやめたのです」


「人を喰らうのを・・・やめた?」、僕の声はかさかさと乾いていた。


「はい。やめたといいますか、食べものとして受け付けなくなったというのが近いです。わたくしはふつうの猫ではありません。いわゆる猫又です。猫の化け物なのです。暗くて見えないと思いますが、わたくしの尻尾は二又にわかれています。もちろん、助けていただいたときは、一本に見えるよう、まっささんの視覚を調整させていただきましたが」


僕がうまく相槌を打てないでいると、宮尾さんは話をつづけた。


「わたくしには使命があります。猫又を産み落とすという使命が。言うなれば、猫又界の女王アリみたいなものなのです。


猫又を産むにはたくさんの栄養が必要です。そして主たる栄養源は男性の人肉です。男を喰らうことで栄養補給しているのです。


しかしながら、わたくしは、あなたに命を助けていただいてからというもの、人を喰らうのをやめてしまいました。


だからかわりになる栄養源が必要になりました。それはあなたの男性としての魅力でした。わかりにくければ、フェロモンと表現してもいいかもしれません。あなたの身体から発散しているフェロモンがわたくしの主食なのです。


そのためあなたは慢性的なフェロモン不足に陥いることになりました。フェロモンが不足すると顔つきにも影響が出るため、あなたの写真はペアーズでマッチングしにくくなっています。


また仮にマッチングして女性と会うことができたとしても、あなたに性的なアピール力がないことは、使い古された表現を許していただくなら、火を見るより明らかなのです。そういうわけで、あなたには恋人ができないのです。ほんとうにごめんなさい」


「それは、これからもずっと・・・ってことですか?」と僕はおそるおそる尋ねた。


「残念ながら。しかしひとつだけ恋人を作る方法があります」


「教えて下さい!」


「わたくしの夫になるのです。そして猫又たちの父親になるのです」


僕はあたりを見回してみた。対になった無数の目がこちらをうかがっていた。まるでなにか油断ならないものを見るような視線だった。そこには紛れもない敵意が少なからず込められていた。重く濃密な沈黙がおりるなか、にわかに強烈な獣臭が鼻をつき始める。まるで腐ったベーコンみたいな臭いだった。


僕はやっと声を絞りだした。「・・・それは、勘弁してください」


「わかりました。それでは残念ですが、呪われた人生を生き続けてください」


その刹那、僕の気道の中でなにかが風船のように膨らみ、そして・・・・


気がつくと僕は自宅の布団の上で横になっていた。


翌日、僕はその路地裏を再訪してみたが、猫カフェはなかった。雑草が繁茂した空き地があるだけだった。僕の見知っているいつもの通りだった。カフェの痕跡はGoogle マップ上からも消えていた。


それから半年が経過した今になって、こうしてそのときの奇妙な体験を書き記す気になったのは、今朝、気がかりな場面を目にしたからだった。


岡山の成城石井こと、セレブ御用達スーパー「マルナカ」に車で買い物に行く途中、反対車線を行く猫とすれ違った。


僕があわてて路肩に車をとめて飛び出したとき、大型トラックが猫に急接近しているところだった。


間に合わない!


そう思った時、黒い学生服姿の男子中学生が、車道に飛び出してぎりぎりのところで猫を救出したのである。


僕はほっとして車に戻ろうときびすを返そうとした。


その瞬間に見てしまったのである。猫の尻尾が二又に分かれているのを。


僕はハンドルの前に戻り、サイドミラーで、猫を抱えて歩道を歩いていく坊主頭の男子を追った。


彼はこの先、髪を伸ばすことになるだろう。そして、鏡の前でワックスをつかって前髪を整えながらも「なぜモテないのだろう」と首をひねるのだ。


理由をしらないほうがいいこともある。


僕はウインカーを出しながら車道に戻り、しっかり前を見ながらマルナカにむかって車を走らせた。道中や店内で運命の女性と出会う可能性がゼロであることを承知しながら。



スポンサードリンク