時代が追いつかなかった天才・川本真琴をタイムマシーンでさらいたい

作成:2019年8月9日
更新:2022年5月26日


2016年1月、懐かしい名前が連日、メディアを騒がせていた。

「川本真琴」

いつからか思い出せないくらい、まことに久しく、おいらの意識にまるで上らなかった名前だ。


泡立つ脳内にあのメロディーがなだれ込んでくる。

「愛の才能ないの 今も勉強中よ SOUL」

ひとりきりの部屋でおいらは、ひとつ深く肯いた。

10分後、知人の天才科学者・土区の自宅の玄関ドアをノックしていた。



独り歩きする「川本真琴」という虚像


『愛の才能』♪ 1996年リリース

1996年のデビュー時の鮮烈さたるや。


中性的ながら可憐な乙女が、
大口開けて、ハスキーなアニメ声でまくしたてるのだ。華奢な身体に抱えたアコギをジャカジャカかき鳴らし、ショートボブの髪をふり乱しながら。


それにゾクゾクするような変態チックで不穏な音楽性! 今のおいらなら作曲者の岡村ちゃんこと、岡村靖幸節全開の曲だなってわかるけども、当時は岡村ちゃんのことなぞ知らんかったし、世間のリスナーの多くも同じだった(今もそうか)。


歌詞の詰め込み具合がハンパないのに、川本真琴がすごくうまくメロディーに乗せてるものだから、あまり過剰に感じられないところがすごいよな。


ってな具合に、デビュー当時からすでに、見せ方といい音楽スタイルといい、カチッと完成されてる感があった。


それもこれも、ソニーレコードの企画によるものだったのである。中性的な乙女のイメージもそうだし、アコギを持って歌うのもそうだった。


実は川本、ギターはかんたんなコードしか弾けなかった。MV撮影前に必死こいて練習したらしい。レコーディングでは別の上手いプロのギタリストに弾いてもらっていた。LIVEでは一応、弦をシャカシャカしてはいたが、「あいつのギターうるさい」と音をOFFにされていたという。


作詞も、実はみんなでやっていた。ディレクターやら「会社の宣伝の人」と一緒に「こういうのがいいんじゃない?」ってな感じで。言葉を自分の頭で必死に考えてひねり出すよりは、本などからどんどん拝借し、歌の主人公のキャラクター設定もそれで決めたりしていた。


つまり歌詞には川本の精神性や心情は、ほとんど反映されていなかったっつーことですな。


芸能系の事務所に入ったのもよくなかった。事務所には他に音楽をやっている人がいなかった。だから事務所としても音楽家の育て方があんまりわかってなかったのだ。どうしてもゲーノージン寄りの売り出し方になってしまう。あれほどの歌唱力とソングライティング力を持ちながらも、アイドル扱いされる時期が続く。


作られた「川本真琴」像はどんどん人気になっちゃって、親からも本名の「和代」じゃなくて「真琴さん」なんて呼ばれるようになる始末。


曲がヒットしても、どこか他人事のような感じで、川本は孤独の沼にずぶずぶと沈み込んでいく。


次の動画はHEY!HEY!HEY!に出演したときのものだが、ダウンタウンとのやりとり、見てて危なっかしいというか、ハラハラしまするな。



ダウンタウンとの絡みのあとの、『桜』のパフォーマンスを観てほしい。むちゃくちゃ歌が上手いことがわかる。CD音源とくらべても遜色ないですな。


岡村ちゃんプロデュースのデビュー曲以降は、ほとんどの曲で作曲も自身でやっていて、この曲もそう。素晴らしいソングライティングの才能ですな。


それに歌詞の言語感覚も独特である。本からワードや設定を拝借してるとはいえ、共同作業で作ってるとはいえ、そこには「川本真琴」らしさが指紋のように浮き出ている。


「くしゃくしゃになってた/捨てるつもりの卒業証書を/ねぇ/かえっこしよ/はしゃぐ下級生たちに/押されてほどけてしまう指先」

「かたっぽの靴が/コツンってぶつかる距離が好き/ねぇ/キスしよっか/春の風うらんだりしない桜が/髪に/ほら/こぼれた」


設定がかちっときまってるからか、Aメロだけで二人の関係性が理解できちゃいまするな。あと、オノマトペとキスが好きみたいですな。


うん、キスしよう。ぶちゅっ。


そしてこの『桜』をリリースしたあと、それまでの無理が祟ってか体調を崩し、休養期間に入ることになる。


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1998年の秋にタイムスリップしてきたおいらは、ステルス・ペロリアン号のドアを開け、新宿御苑の林の中に降り立った。

落ち葉をザクザク踏んで林を抜けると、川本真琴が通ったというパン屋にむかった。



メジャーレーベルからの離脱、インディーズへ


『ピカピカ』♪ 1999年リリース

1999年4月、5thシングル『ピカピカ』をリリース。前シングル『桜』から1年のブランクがあるものの、オリコンチャート第5位に入る。


ううむ。どうやったらこんな奇抜なメロディ思いつくんだろう。曲の構造どころか、どの部分がサビなのかすら一聴しただけでは判断つかん。YouTubeのコメント欄に和製Kate Bushって書いてあったけども、たしかに。


その後、スローペースながらも(継続して楽曲制作するのが苦手なのだ)、4枚のシングルをリリース。楽曲提供などもした。


『微熱』♪ 2000年リリース

しかし、担当ディレクターが辞めるのを機に、所属事務所を辞め、同時にソニーレコードとの契約を解消してしまう。


会社が部署変更などで変わっていったのが理由らしいが、もっと自分の色を出した楽曲を、自分のペースで制作したいという思いが募っていたのもあるだろう。


そういうわけで、他のメジャーレーベルには移籍せず、当時彼女の目には盛り上がっているように見えたインディーズで自主制作する道を選んだ。



しかし、インディーズでどうやってCDを出したらいいのかわからず、知り合いもほぼいなかったので、ぼんやり悶々としながら曲作りだけやってたらば、光陰矢の如し、8年もの歳月が流れてしまった。



CD出せない問題は、ディスクユニオンのレーベル・My Best! Recordsに入ることで解決した。また、2016年にはメジャーレーベル・日本コロムビアでもリリースし、メジャー/インディーにとらわれない自由な音楽活動を行っている。


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パン屋でバイトを始めて半年以上がたった。ほぼ毎日焼きそばパンを買いに来る川本とは、音楽談義に花を咲かせる仲になっていた。

おいらに向ける眼差しが、ときおり熱っぽく感じられることもある。

15歳も年の離れた、こんなどうしようもないフリーターおっさんに恋するとは!

愛の才能、やっぱりないみたいですな、ハハッ!

なんて思いながらも、おいらはどうしようもなく彼女を好きになってしまっていた。

「歴史に干渉してはならない」と土区は口を酸っぱくして言っていた。

おいらにはどうすることもできないのだ。


『やきそばパン』♪ 1997年リリース


売名目的であの騒動を起こすわけがないのである


『プールサイド物語』♪ 2016年リリース

一度は売れて孤独と苦しみを味わった川本にとって、名前を売ることは重要ではないのである。それよりも自分のペースで、自分が作りたい音楽を作ることが大切なのだ。


上の動画を観てみい! のびのびと音楽やっておろうが!


よって、売名目的の騒動ではないのである。ただ、愛の才能がないだけなのである。


Q.E.D. 証明終わり。


それにしても、川本真琴って意外におっぱお豊満なのね(1:44~)。


( ゚∀゚)o彡゜おっぱお!おっぱお!おっぱお!


ぜひお付き合い願いたいものですな。ハハッ!


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真琴とは付き合えない。歴史を変えるわけにはいかないのだ。でも、おいらは土区に内緒で、未来をちょっぴり変えることにした。2019年よりも先の未来だ。

2029年に『タイムマシーン2』という曲を出すことを頼んだのだ。おいらは真琴の『タイムマシーン』という曲が好きなのだ。おいらを題材にした『タイムマシーン2』の制作を、真琴はこころよく引き受けてくれた。同年に再会することも。

真琴、ありがとう。10年後の再会を楽しみにしてる。おいらがおじいちゃんになってないことに驚くだろうな、ハハッ!



『タイムマシーン』♪ 1997年リリース