作成:2019/07/25
更新:2022/05/30
やあ、おいらです。
こないだ(2022年5月)、マルナカの駐車場で、二十歳くらいの若いカップルを見かけた。
免許とりたてらしく、固い表情で、なんども切り返してバック駐車を試みる彼氏。
そんな様子を助手席から、いかにも楽しそうな笑顔で見守る彼女。
そんな二人の様子に見とれて、なかなかブレーキペダルから足を離せないおいら。
夏ですなあ。恋の夏ですなあ。灼けつくような恋の夏ですなあ。
世界あまねく、恋人たちがよろしくやってるわけです。
その一方で、おいらは蚊帳の外なのであります。蚊帳の外でひたすら蚊に刺されまくっているのであります。
そういうものだ。
ここで、時空の法則が乱れる。
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そういうわけで、今日(2019年7月25日)もむなしくYouTube開いたらば、オススメで出てきたのがこれ。
真心ブラザーズ『サマーヌード』。
1995年6月21日リリース。当時、おいらは中学3年生。目が遠くなりすぎて困る。
実はこの曲、オリコンチャート週間81位と全くヒットしなかった(のちに、山Pこと山下智久がカバーしオリコン一位を獲得する。そういうものだ)。
音楽番組のシングル・チャートでは、おそらくCOUNT DOWN TVの「月イチTOP100」のコーナーで一瞬チラリと登場したかどうか、というところだろう。当時のおいらも世間と同じく、特段気にとめなかった。
それでも、おっさんになった今でも、サビは言うに及ばず、AメロもBメロもしっかり覚えているし、ミュージック・ビデオ(当時で言うところのプロモーション・ビデオ)のセピア色がかった映像も記憶のフィルムに焼きついている(出演してる二人の若い乙女がデビュー前のPUFFYだと知ったのは、今になってだけれども)。
朴訥として、派手さはないけれど、心の滞在時間がとても長い名曲。
今回、歌詞を読み込みながらじっくり再聴してみた。
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真夏の夜の砂浜で、「僕」は女の子と二人きりで花火をしている。
さっきからなにやら企み顔をしていた女の子。最後の花火が消えた瞬間、波打ち際にむかって走り出し、Tシャツを着たまま泳ぎ始める。
「僕」も衝動的に、着の身着のまま海に飛び込む。
「僕ら今 はしゃぎすぎてる 夏の子供さ 胸と胸 からまる指…(中略)…響くサラウンドの波 時が溶けてゆく真夏の夜…(中略)…止まらない冗談を諭すよに ついてくるお月様」
何の変哲もなかった浜辺は、魔法みたいに「神様にもバレない地球の裏側」に姿を変える。
そこにいるのは「僕」と彼女の二人だけ。
「時が溶けて」ゆき、この夢みたいな瞬間は永遠に続くかのようだ。
でも、永遠なんてものはないと、「僕」は頭の隅で承知している。
彼女の心の中にはべつの誰かがいることもわかっている。
「ウソだろ 誰かを思い出すなんてさ」「目を伏せて その髪の毛で その唇で いつかの誰かの感触を君は思い出してる」
それでも「僕」は全身全霊ではしゃぐ。現実を振り切るように。「夏の子供」になりきろうとして。
帰りの車中、窓の外を通り過ぎていく明け方の景色を見ながら「僕」は思う。
「僕はただ 君と二人で通りすぎる その全てを見届けよう この目のフィルムに焼こう」
「今はただ 僕ら二人で通りすぎる その全てを見届けよう 心のすれ違う 瞬間でさえも包むように」
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ううむ。切ない曲ですこと。
『サマーヌード』リリースから二年後にセルフカバーされた『ENDLESS SUMMER NUDE』はこちら。おいらはこっちのが好きかも。週間オリコンチャート最高41位。
コメント
コメント一覧 (4)
今日も暑かったですね。
まだまだ、私の知らない名曲が沢山隠れて居ると言うことですね!素晴らしい歌詞ですね。
誰の心にも、ふとした瞬間、そこにいる彼(彼女)以外の面影に心を馳せたりするものなのですよね😌
男と女はミステリアスな程惹かれあうの❤️なんて、思ったり。
今回も素敵な記事を有難うございました!また、遊びに来ますね♪
まっさ
が
しました
サマーヌード大好きで、夏になると毎年聴いてます。
でも、まっささんのこのブログ読んで、今まで以上に情景を思い浮かべることが出来で、より切なくなったよ。
ほんと名曲です。
こんなに何年も(何十年も?)聴いてる曲なのに、なんだか新たな発見が出来たみたいでありがとです!
まっさ
が
しました
もえちゃん、おこんばんは! おひさしぶりーふ!
行間を、おいらなりの解釈で埋めたから、情景の解像度はかなり上がったと思うで。
まあ、曲作った人のつもりとは違うかもだから、あくまでおいらバージョンの『サマーヌード』ということで。
新たな発見のお手伝いができて何よりだぜ!
まっさ
が
しました